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先日テレビで 映画「遠すぎた橋」を途中から観ました

第二次世界大戦を連合軍目線で描く70年代オールキャストの大作戦争映画ですが 昼メシ食べながら、SNSチェックしながら、の「ながら見」 だったので 音のボリュームを下げていて 気づいたらエンドロールが…  この映画、小学校低学年当時 大須商店街近くでポスターを見た覚えがあるという意味では 「思い出の映画」で、本編は初めて観ましたが 後半の落下傘部隊シーンが圧巻でした (アンソニー・ホプキンス若っ)

間違いを繰り返さないための、残虐さ残酷さの記録としての、人類の争う本能の愚かさを自覚し戒めるための「戦争映画」、一方 破壊や爆破に美を見る事もある…  そんな幅広いジャンル「戦争映画」 私は嫌いじゃないです。

今年2020年は 終戦から75年という事で 例年以上に多数の番組が 様々な表現で放送されていました

私が観た番組の一部

そんな中、私自身も思い出した事があるので 少し紹介します

私の父は(祖父ではない) 1926年大正15年11月生まれ(昭和元年は12/25からで 終戦時19歳)で、今から29年前に亡くなっており 戦時中について今さら聞ける事もありませんが、唯一覚えているのが「電車で移動中、山の向こうの空が虹の様に光るのを見た」という 原子爆弾を見たと思われる話を 湯船に浸かりながらしてくれた事です。なぜ電車に乗っていて どこへ向かっていたのか等 詳しい事は 今となってはわかりませんが、貴重な話として憶えています (広島付近と思い込んでいたけど長崎付近

もあり得ると今思った) 。

また父方では親類に戦死者やその子供の引き取りをしたり、母方の実家は農家で疎開を受け入れていたという事、 また最初にお世話になった名古屋市西区のヘアサロンの先生のお父さんさんが 戦艦大和内部で兵士の髪を切っていたが 出港前に降りたので生き残った という事も思い出しました。

75年後の現在、米中の軍事、経済、情報の新冷戦と それに巻き込まれる日本や世界の構図は まだしばらく続きそうですが、 ま~本気で事をやらかす というよりはプロレスを観る感覚ですが。 甘いかな?

COVID-19上陸以降の新生活習慣も 猛暑という山を越えて これから気温は少しづつ楽になりますが ウィルスにとっては秋冬こそが本格的な季節

共に冷静な判断で 健康を勝ち取りたく思います

あなたの周りにあるかもしれない貴重な証言、よかったら聞かせてください。